第88回メーデーが行われました。

平日でもあり、学校現場からの参加はありませんでしたが、書記のみなさんや退職教職員の方々に助けてもらって県教組の旗やプラカードを掲げることができました。

教育分野での発言をということで、「参加組織からの発言」をしてきました。

以下、その原稿です。

 高知県教職員組合の坂本です。秘密保護法、戦争法、共謀罪法案と安倍内閣による戦争できる国づくりが進められようとしています。そして、今安倍「教育再生」として教育に掛けられている攻撃は、戦争に参加する国民づくりを進めようとするものです。
 森友学園が経営する幼稚園で、教育勅語を暗唱する場面が話題になりました。日本会議に関わる人たちがめざしている教育の形が大変分かりやすい形で表れた場面でもありました。そして「それはいかんろう」との思いを抱いた方がほとんどだと思います。しかし、その後の国会での動きは、私たちの想像以上のものです。
 稲田防衛大臣は3月8日の参議院予算委員会で、「教育勅語の精神である親孝行など、核の部分は取り戻すべきだと考えており、道義国家を目指すべきだという考えに変わりはない」と述べました。また、安倍内閣は3月31日、教育勅語は「憲法や教育基本法に反しないような形で教材として用いることまでは否定されることではない」との閣議決定を行いました。さらに、菅(すが)官房長官は4月3日の会見で、「教材として使用することは否定されない」という認識を示し、松野文部科学大臣は4月4日の記者会見で、「道徳を教えるために教育勅語のこの部分を使ってはいけないと私が申し上げるべきではない」と述べました。義家文部科学副大臣は、4月7日の衆議院内閣委員会において、「毎朝の朝礼で教育勅語を朗唱することは問題ある行為か」と問われて、「教育基本法に反しない限り、問題のない行為であろうと考える」とまで答弁しています。
そもそも教育勅語は、日本を侵略戦争に駆り立てる精神的支柱としての役割を果たし、その反省から、文部省は1946年10月、式(しき)日(じつ)等における教育勅語の奉読をさしとめる次官通牒を発し、1948年には衆・参両議院で、排除・失効決議が行われました。こうした教育勅語を現在の学校で「扱っていい」「問題ない」というメッセージを国会の中で発信し続けているのです。
 特別な教科として扱われる道徳の教科書検定が行われました。「学習指導要領の示す内容に照らして、扱いが不適切」と指摘されて出版社が変更した内容が報道されました。
 「しょうぼうだんのおじさん」という題材で、登場人物のパン屋の「おじさん」とタイトルを「おじいさん」に変え、「にちようびのさんぽみち」という教材で登場する「パン屋」を「和菓子屋」に▽「大すき、わたしたちの町」と題して町を探検する話題で、アスレチックの遊具で遊ぶ公園を、和楽器を売る店に差し替えたというものです。文科省がこう変えなさいと言ったわけではありませんが、各教科書会社が、文科省が求めているものを考えると、こうなるのです。道徳の教科化のねらいがうかがわれる、変更だと思います。そして、学習指導要領がかえられようとしています。今までも教育内容を示しながら、内容の押しつけが進んできていましたが、今回は、改訂前から、アクティブラーニングという教育方法が先行的に学校現場に入ってきていました、今回「主体的・対話的で深い学びの実現」という表現になっていますが、教え方にまで踏み込んできています。また、子どもたちが身につけるべき「資質・能力」をすべての学校段階や教科・領域にわたって示すことで、国や財界が求める「人材育成」を具体化しようとしています。国が特定の「資質・能力」を規定して、そこへの到達をめざして、教育内容・方法・評価まで縛りをかけようとすることは、子どもたちの内心や思想・良心の自由、学問の自由までも侵しかねないものです。同時に、教育における自由や自主性・創造性を奪い、教育活動を窒息させ、学校現場を今以上に息苦しいものにしてしまうものです。
 こうした、一連の戦争できる国づくりにつながる教育への攻撃をはね返し、目の前の子どもたちの姿からスタートする教育の実現めざして、父母、県民のみなさんと力を合わせて奮闘する決意を述べ、県教組からの発言とします。

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